いつごろからだろう 「四国遍路」 の夢を見るようになったのは ・・・。
高松・坂出・新居浜・松山など瀬戸内海側の街には時々出張で訪れていた。
昨年11~12月NHKの お遍路ドラマ ”ウォーカーズ” を見たとき来春決行!!を心に決めた。
  四国の小さな寺の住職である父が大腸がんで倒れた。 妻から都会で働く息子(江口洋介)が寺を継ぐと聞かされた父、様子を見に帰った息子、母の嘘から始まった息子の 「歩き遍路」ではあるが同行、同宿した人々との交わりの中で、仕事・結婚・家族 など次第に人生を考える旅に変わっていくドラマです。

  放映直後 「へんろみち保存協力会」 発刊の 「四国遍路ひとり歩き同行二人」 の 『解説編』と『地図編』を買い求め計画づくりと準備に取り組んだ。
  歩きでは約 1200kmの行程となり 40~50日、車の場合は約 1400kmで 10日程度はかかりそうで、遍路本来の姿である? 「歩き遍路」 を夢みたが、カメラを背負っての体力と経済的余裕が無く 「マイカーでの遍路」 を計画実行した。

四国遍路とは?
  一口に言えば、弘法大師が開いたとされる四国八十八ケ所の霊場(札所)を お詣りする旅で、昔は誰もが徒歩で、現代では車を利用しての お詣りが一般的のようです。
  宗教的な聖地を訪れる旅を 「巡礼」 と云い世界各地にありますが、この四国遍路は八十八ケ所の霊場を順に訪れること、コースが環状になっていることが特徴で、都合のよい霊場から始めて一周し、そのまま歩き続けると終わりのない旅になります。
  この四国八十八ケ所の霊場を巡る旅も 「巡礼」 ?、何故か 「巡拝」 と云い、 巡拝者を 「お遍路さん」 、「お四国さん」 と呼んでいます。

  四国遍路は山野に開かれた「心と体の修行の地」です。
 その霊場を巡拝することで 八十八の煩悩を除き、八十八の功徳をもたらすと云われています。
  そして、阿波の国(徳島)の霊場を発心の道場(札所1~23番)、 土佐の国(高知)の霊場を修行の道場(札所24~39番)、 伊予の国(愛媛)の霊場を菩提の道場(札所40~65番)、 讃岐の国(香川)の霊場を涅槃の道場(札所66~88番)と云い、合わせて八十八ケ寺、結願まで1200km余の旅となります。

  四国遍路は思い立ったとき、これを 「発心 (ほっしん)」 と云い、八十八ケ寺を お詣り終えることを 「結願(けちがん)」、「満願 (まんがん)」 と云ってます。
  結願すると 「お礼詣り」 として、最初の寺院に再度お詣りし、和歌山県の高野山奥の院にも お詣りする人が多いようです。

札所での作法と手順は下記のようですが、納経帖への墨書朱印を忘れ 2日前の札所まで戻ったこともあり、項目順に流れるようなお詣りができなかった。

 1: 門前にて一礼し境内に入る
 2: 水場で口と手を清める
 3: 本堂に参拝 
   ① 納札を納札箱に入れる
   ② ローソクと線香を立てる 、、、、、省略した
   ③ 賽銭を入れる
   ④ 合掌して読経 、、、、、、、、、、般若心経は欠かさないのが礼儀らしいが省略した
   ⑤ 一礼し退去する
 4: 大師堂を参拝(本堂と同様に参拝する)
 5: 納経所で納経帖に墨書朱印してもらう
 6: 門を出て一礼し寺をあとにする

  東京有明港から フェリーで徳島に渡り、白衣を羽織り ズタ袋に鈴をぶら下げて一番札所から順に打ち5月の連休明けに結願したが、結願数日前から 「まだ終わりたくない、 このまま続けたい」 そんな気持ちが強く高まってきた。
  そして、お礼詣りの一番札所と高野山の納経所で 「お詣り御苦労さまです」 の一言に不覚にも涙した。
  多くの札所で聞いていた一言なのだが ・・・・・・・・・・ 四国の風土がそうさせるのか、 長旅の疲れなのか、66歳の誕生日を一人寂しく迎えたからか ・・・・・・・・・・ 。

  今回の旅ではほとんどの駐車場に ”車上あらし注意” の文字が躍っており、残念ながら重いカメラリユックを背負っての お詣りとなった。
  しかし、それが幸いした?、歩き遍路と勘違い?されたのか、冷たいお茶やタオルハンカチなど数回も 「お接待」 を受け表現できない感動を実感した。

  この白装束の歩き遍路姿、マラソンや駅伝競技のテレビ実況放送でバイクリポーターが選手を追い上げて行くような場面に何回も遭遇した。 都会では奇異に見えると思うが、ここの風景によく溶け込んでいるように感じます。
  そんな場面のとき、23番札所から 24番札所への 75kmにも及ぶ距離を移動中、サポータを巻いた足を引きずって歩く若い お遍路さんを追い抜いた。
  しばらく走ったが、歩き遍路では 2日分の距離、次の宿まで同乗の接待をするつもりで引き返した。
  しかし、生き生きとした顔で足の痛みを楽しむかのように歩く姿に声をかけるのをためらった。

  遍路の動機は家内安全?、自分を振り返る遍路?、いつもの石仏を観る旅のつもりでしたが遍路姿を見てから、少し無理してでも 「歩き遍路」 にすべきだったかも 、、、、、、いま、そんな気持ちで一杯です。
現在の体力で 「歩き遍路」 可能を実感した、近い将来に !! ・・・・・・・・・ 。

  遍路途中、沈下橋・かずら橋・水車・43番を打ってから大分県の磨崖仏・53番を打ってから村上水軍で名高い因島の五百羅漢などを観て 3925km、23日間の一人旅が終わった。