古来から農耕民の間で 「稲田を見守り豊作をもたらす」 と信じられた田の神信仰は、東北地方では農神、長野地方では作神、瀬戸内海地方では地神などと呼ばれ、石に刻んだ 「田の神」 を田に祀り稲穂の成長を祈願する風習が伝承されてきた。

  このような石像神が、鹿児島県と宮崎県の旧薩摩藩領内に 「田の神サァ」 と呼ばれ田畦に無数に立ち並んでいると聞き訪れてみた。

  江戸時代、霧島の噴火を鎮め稲作の豊作を願う 「よりどころの像」 を作ったのが始まりと云われており薩摩藩独特の文化のようです。

  地元民俗資料館などでは 「田の神サァ」 の調査研究は現在進行中とか、ほぼ完了したが公表範囲を模索中との話でした。
  昔 「田の神」 を盗む 「おっとい」 という面白い?風習があり、持ち主から所在詳細を公表しないで!!との要望もあるようです。

  不作で苦しむ村や、新しく開田した田には 「田の神サァ」 がない等から、豊作の続く村の「田の神サァ」を、おっ盗ったり (盗んだり) したそうです。
  おっ盗った 「田の神サァ」 は 「おっとい田の神」 と云い、3年以上置くとその村は不作になるという 云い伝えがあり、必ず 3年で帰したそうです。
その際は、お礼に籾・焼酎・鶏などを持参し 「おっ盗られた」 集落と一緒に盛大な酒盛りをしたそうです。

  いまでも、持ち運びできる小型の 「田の神サァ」 を、農家から農家へ次々に回し 豊作を祈願する 「回り田の神」 の風習があちこちに残っているそうです。
春と秋の当番交代のとき、当番の家では 「田の神サァ」 に化粧をし大事に床の間に祀ったり、ご馳走を作り村民打ち寄って酒を飲んでいるとか。

  「田の神サァ」 は大きく分類すると 4つの型があるようですが、県別の展示は農民型と神官型だけです。
● 自然石型・・・大きな自然石に、しめ縄が飾られていることが多い。
          石像が造られる以前の初期の姿?、数は少ないです。
● 地 蔵 型・・・ お地蔵さんの姿らしいが観ていない、地蔵型に近い?
         僧衣型の展示です。
         島津藩の一向宗禁止の関係のため?、数は少ない。
● 神 官 型・・・ 衣冠束帯の服装で手にはシャクを持ち神前に座るような姿。
● 農 民 型・・・ メシゲ・お椀・摺小木などを持ち、シキを被り、
         御飯を入れるワラズトを腰に下げ、
         表情豊に田畦に立つ姿は立ち去り難い魅力があります。

シャク・・・・・・神官が右手に持つ細長い板
メシゲ・・・・・・しゃもじ
シキ・・・・・・・蒸器の下に敷く藁製の編み物
ワラズト・・・・・物を包むための藁製の編み物

  最終日近くに立ち寄った 「えびの市歴史民俗資料館」 に詳しく調査した地図付冊子が¥1,000 円 で販売されていた、コースを逆にしていたら もっと効率良く・楽しく観れたかも、事前調査不足でした。

 5月連休に東京有明港からフェリーで門司港に渡り 鹿児島まで一気に南下、カーナビを頼りに北上したが妻との約束、半月の自由時間では計画の半分も観れなかった。
 帰路は、二晩もフェリーで過ごす寂しさに耐えられず、 関門トンネルを抜け京都から中山道を走った。  3336km、16日間の一人旅が終わった。