足利市内から行道山 淨因寺への道、淨因寺駐車場の 1Kmほど手前左側に小綺麗な公衆トイレがあります。
そのトイレの道路反対側、地元に伝わる「ポックリ信仰」についての看板が目に入った。
看板の右側20mほど先、人一人が通れる獣道?の左斜面一帯に数十体の菩薩像などが安置されています。
国内各地の地名を石刻しており、お馴染みの、西国三十三観音・坂東三十三観音・秩父三十四観音などを撮っているときと異なる楽しさが湧いてきた。

地元史跡保存会「阿云ノ会」による看板をそのまま転記してみました。

ポックリ(放苦離)信仰とは
庶民の間でポックリさまと呼ばれ当時の人々が飢キン、過酷な年貢、貧困、病、老い 等の苦しさから逃れたいとの願た民間信仰の一つで 今からおよそ三百年前(江戸中期後半)に始まりました。
放苦離とは苦しみを放し離れて長寿と安楽死を祈ることです。
本来はお伊勢詣り、お大師さま詣で 観音霊場巡礼と 日本各地の神社、仏閣をお詣りし、長寿と安楽死 極楽浄土行きを祈願したのですが。
当地の放苦離信仰は和銅六年(713年、約1200余年前)、行基菩薩によって開かれた聖域の地、行道山の一角に当時(宝暦年間、約240余年前)の篤信者が日本各地の神社、仏閣を石刻した像を寄進し、全国を巡礼せずに、この地で詣でることにより祈願成就できるように、おまつりしたのです。
例祭は四月八日に行道山で行われる 山門大施餓鬼会(厄除け一杯めし)の例祭に因で同日に併せて行われていたようです。
現代の社会情勢、呆け老人の問題、情報過多など こん雑化するなかで、夢と心の安らぎを、と地域の人々の努力により 昭和60年(1985年)に石像の発掘、調査を行ってきました。
参拝者の心の安らぎ、長寿と極楽浄土、併せて史跡の保存を願っております。

阿云ノ会

浄因寺周辺のホテルはこちら