JR北陸本線 福井駅の東南 9Km、JR越美北線・通称九頭竜線 一乗谷駅の南 200mです。
駅の裏側 50mの線路と平行な農道?を走り、終端が大きな駐車場で、歩 100mの線路脇が寺跡です。
この一乗谷一帯は、越前の国を支配した朝倉一族が、約 100年もかけて築いた「小京都」とも呼ばれた城下町でした。
寺院跡や村々の石仏堂に 3000体余の石仏が散在していると聞き訪れてみた。

寺跡は桜が満開、淡い白緑色石に緻密に厚肉彫りした大型の石仏 40体ほどが向かい合うように立ち並んでいた。
数体は一部が黒く焼け焦げた痛々しい姿でしたが、桜花を背にした阿弥陀三尊板碑 (上段左端) のあまりにも美しい姿に暫く見とれてしまった。

下記は西山光照寺跡に立てられた説明版の要旨です。
西山光照寺は当時隆盛を極めた天台宗真盛派の大寺院の一つで、朝倉一族の争いに敗れた鳥羽将景の菩提を弔うために建てられたと伝えられている。
奥の平坦地に本堂などがあったと考えられており、山道を奥に上がると数多くの石仏が残されており 340体余を確認した。
礎石建物跡を中心に、陶磁器などの優品が出土した地下式倉庫跡や、石組溝・石積施設などを復元した。

寺跡の桜を見に?、遠距離恋愛中の若いカップルと地元のカメラマン?がおられた。
地元の方が車まで戻り観光地図を私に手渡し、盛源寺の地蔵など観光スポットを種々教えてくれました。
一乗谷駅の線路を挟んだ反対側へ 400mに一乗谷朝倉氏遺跡資料館があります。
そして、一乗谷駅から谷の奥へ 1.5Kmの左側に朝倉氏遺跡・城跡が、右側には武家屋敷・職人町屋など当時の町並が発掘された建物礎石や塀の石垣を使って復元されており、多くの観光客で賑わっていました。

天正元年 (1573) に義景が織田信長との戦いで敗れ町並は焼失し、約 400年間そのまま土に埋もれ残されてきた遺跡だとか。 ・・・・ もしかして 「日本のポンペイ」 かも。

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