JR中央本線「石和温泉駅」の南13km、芦川に沿った細い国道、山深い芦川町の山中に百観音像が点在しています。
中央高速道 甲府南インターから国道358号線を精進湖方面に南下、オウム真理教のサリン製造工場などで有名になった旧 上九一色村 を過ぎてから国道36号線へ左折、5kmほど先の宝珠寺の裏山です。
寺は国道から少し山側に登った位置にあり、その寺を左に見て細い山道を登ると墓地裏斜面と中腹まで続く山道に沿って観音像が立ち並んでいます。
イノシシ避け?の金網が斜面全体に張られていますが所々に扉が設けてあります。
寺の下の小さな交番の前、道路を挟んだ川縁に車一台ほどのスペースがあった。

所在地:山梨県笛吹市芦川町中芦川宝珠寺

芦川村教育委員会の説明看板を転記します。
芦川村指定文化財
宿鷲山宝珠寺桃林園 百番観世音菩薩
当村中芦川地区の宿鷲山宝珠寺は、約四五〇年前の天文年間、足利常元によって建立され、天祥和尚が開山したといわれていますが、文政十一年火災を蒙り、山門を残して焼けてしまいました。  この宝珠寺の裏手に祀れているのが百番観世音菩薩です。
百番観世音菩薩は、宝珠寺と同じく天文年間、足利常元によって建てられたと伝えられたと伝えられています。
足利常元という人は、室町幕府の足利将軍の縁者と思われ、応仁の乱れた世をさけて甲斐へ流れてきて、ここ芦川の里に住みつき足利氏の武門安寧、子孫永長を願って西国三十三カ所、秩父三十四カ所、板東三十三カ所の霊跡を拝んで回り、各所の土を持ち帰って観世音を祀る場所に置き、百体を安置したと伝えられています。
その後、度び重なる火災を蒙り土砂に埋まったり流出してしまったが、この地に飢餓や悪病が蔓延したことなどから観世音様のお力に救いを求めて、里人の並々ならぬ大願努力によって、ついに天保十三年(1843)に再栄されました。

芦川村教育委員会 平成四年八月

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